社会人として博士号を取るということ

Tue Feb 09 2021 00:00:00 GMT+0000 (Coordinated Universal Time)

(この記事は 2017 年 9 月 20 日に公開した記事を再掲したものです。) (2021 年 12 月 3 日追記: 「アカリク アドベントカレンダー 2021」に参加しました。)

昨日、学位記授与式を終えまして、無事博士(工学)の学位を取得しました。 私は社会人博士として、ウェブ関連会社に務めながら三年間大学に通って研究に従事していました。 これまでにたくさんの方が社会人博士の生活について書いていますが、社会人になってからの学位取得に興味のある方の参考ために、私の社会人博士生活について記したいと思います。ここでは論文博士ではなく課程博士を、そして情報系の研究を前提として書いていきたいと思います。

博士号をとるのに必要なこと

表面的に言えば、(社会人か否かに関わらず)博士号を取るためにやるべきことは、

の三つです。 博士課程は主に研究をするところですが、研究活動だけではなく講義にも出て一定の単位を取得する必要があります。本業の研究の方では、具体的に必要な本数は大学や研究科によって異なるものの、目安となる本数の業績を上げる必要があります。ここで言う業績とは、ジャーナルの採録や査読付き国際会議での発表経験などです。私の所属する研究科ではジャーナル採録3本がだいたいの目安でした。そして博士課程の最後には、自分が研究してきたことを博士論文というかたちでまとめ上げる必要があります。

講義に出席する

社会人博士といえど、きちんと大学に行って講義を受けて、試験を受けたりレポートを書いたりする必要があります。大学や研究科によっては土曜日に開講してくれる講義があったり、試験がなくレポート課題だけの講義もあったりしますので、こういった講義を選択しながら、必要な単位を取っていくことになります。大学によっては e-learning をサポートしていて、物理的に出席しなくても講義を受けられる仕組みが整っているところもあるようです。 私が所属している研究科では、博士論文とは別に 10 単位(=だいたい5コマ)揃えることが条件でした。幸い大学の 6 限は 18:30 スタートで、終業後でも間に合う時間だったので、6 限の講義を集中的に受講していました。私の場合は最初の 1 年間(2 セメスター)で所定の単位を揃えました。ウェブエンジニアとして働いているので、仕事の〆切直前以外は比較的自由に就業時間をコントロールできるのはありがたかったです。

研究業績を上げる

サーベイして、ディスカッションして、実験して、論文を書く。研究する上で基本的なことですが、この動作をひたすら繰り返すことで研究業績を上げることが博士課程の中核を占めます。サーベイは大学のサーバにプロキシで接続して Google Scholar や ACM Digital Library を使えばだいたいの論文は見つかりますし、ディスカッションは研究室の Slack に投げるなり VC(ビデオカンファレンス)するなりすればできます。実験は自分のラップトップもしくは大学のサーバでプログラムを実装すればできますし、論文書いて投稿するのはテキストエディタさえあればできます。つまり、どこでも作業はできるので、どれだけ時間を捻出できるかが鍵になります。

社会人博士の場合、平日の昼間は仕事に従事することになると思いますので、平日の朝・夜と土日が主な研究時間になってきます。こういった時間に研究を進める習慣をつけることが最初の課題になるかもしれません。私の場合は、朝早く会社に行って、8:00-10:30 と終業後の時間を平日の研究時間に充てていました。平日はまとまった研究時間を取ることが難しいので、この細切れの時間で少しずつ作業を進めていくことになります。

「物を書くのは頭を使う作業だし、まとまった時間がないと執筆なんて進まないのでは?」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、実際は図表を整えたり既存手法を説明したりと単純作業に相当する作業も少なくないので、結構進めることができます。

「毎日三時間もあれば、書くべきことのすべてを書ける」(Trollope, 1883)

これは『できる研究者の論文生産術 どうすれば「たくさん」書けるのか』(講談社)で紹介されている一文ですが、書く習慣の強力さを感じさせられる言葉です。

博士論文を書く

ここが博士課程の最後の砦となります。博士論文では、ある一貫したテーマを以って自分の今までの研究をまとめあげることになります。これは、対象のテーマに対して自分が主張したいセンテンスがあり、それをサポートするように今までの研究を配置していくイメージです。つまり、自分の主張を頂点にした巨大なロジックツリーを築き上げるのです。たとえば、自分が主張したいことが「A に対して B が有効である。」だとします。であれば、「Bが有効であるとは、すなわち C, D, E という性質が確かめられるということである。」と論を進めて、C, D, E の性質が認められる各論を配置するわけです。この各論に相当するのが、今までの研究内容になります。

もちろん、博士課程に入った時点で完全にこのロジックツリーを築き上げることは難しいでしょうし、実際研究を進めてみたら「実は C と D は本質的に同じで、E とレイヤーが違うのもだった。」ということがわかる、なんてこともあるでしょう。つまり、研究を進めるたびに、このロジックツリーはどんどん変化していくわけです。なので、はじめに設定したロジックツリーはあくまで研究をすすめる上での仮の指針のようなもので、それに囚われる必要はありません。博論執筆の時点で、最も綺麗な形をしたロジックツリーを描いて、それに従って書けば良いわけです。

博士論文に限らず、一般的な論文執筆についてはこちらの資料が秀逸ですので、参考にどうぞ。 松尾ぐみの論文の書き方

さいごに

以上、博士過程を通して感じた、博士論文の書き方についてまとめてきました。書いてみると、やることはシンプルですが、これを習慣にして粛々として進めていくことが最も大事であり、難しいことなのかなと感じています。 博士課程を通じて学んだことをひとことで言えば、考えるとはどういうことかが少しわかったことかなと思います。 研究は、今までに無い物の見方を提示し、それを検証することで、人間の知を一歩進める活動だと考えています。 新しい見方というのは、本を読むだけでは決して得られません。(そもそも本に書いてあったら新しくないです) そんな中、新しい構造を見つけるために自分と対話すること。そのための材料がなければ本や論文を読んで、また対話を繰り返すこと。 そうやって物事を考えていく姿勢を学ぶことができました。これが博士課程で得ることができた一番の財産だと思います。 これから研究者のキャリアを築いていくかはわかりませんが、論文を書くという自己表現のひとつのツールを得ることができたことは、一生の財産と思います。今後も、論文に限らず、ウェブサービスだったり、オープンソースだったり、様々な形で人間の知に、そして人類のより便利な生活に貢献していけたらと思います。